「ケープ真鶴」に展示したクロマツの切り株の年輪は約335年、江戸時代小田原藩が植えた15万本のうちの1本と考えられます。
当時の武家社会においてマツは、城や砦を造営するために不可欠な土木建材であり、戦(いくさ)時の燃料、松脂は弓の手入れ、樹皮からとるデンプンや松の実は非常食用と、まさに有用この上ない樹木でした。
明暦(めいれき)の大火(たいか)後の街づくりのための植林といわれていますが、軍事面での利用が真の狙いだったのではないでしょうか。そのために山回り役をおき、一般人の立ち入りを禁じたのでしょう。
その結果、吹きさらしの岬で陽樹(ようじゅ)のクロマツは立派に育ち、周囲に木陰を作ることになり、二次的に陰樹(いんじゅ)のアオキやスダジイなどの混生する現在の『御林』が自然に形成されていったと私は考えています。
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